3月1日(土)より、八雲神社「真岡鐡道沿線御朱印めぐり」の御朱印を、春デザインにて頒布いたします。
初穂料は500円(直書き・書置き共)です。
尚、令和3年5月1日にスタートしました「真岡鐵道沿線御朱印めぐり」ですが、本年3月31日(月)をもちまして終了する運びとなりました。
沿線7社で繋げて完成する御朱印企画は終了いたしますが、引き続き、真岡鐵道をご利用頂いて自然風景を楽しみながら各神社へご参拝頂ければ幸いです。
緑豊かな里山の町・栃木県茂木町に鎮座するお宮です。 節分祭や祇園祭などをはじめとする祭典の模様はもちろん、社頭でのできごとや、神社、近隣のイベントのおしらせ、神職、職員の日常などについて、のんびりと綴っていきます。
3月1日(土)より、 八雲神社「真岡鐡道沿線御朱印めぐり」の御朱印 を、春デザインにて頒布いたします。 初穂料は500円(直書き・書置き共) です。 尚、令和3年5月1日にスタートしました「真岡鐵道沿線御朱印めぐり」ですが、本年3月31日(月)をもちまして終了する運びと...
3月1日(土)より、八雲神社「真岡鐡道沿線御朱印めぐり」の御朱印を、春デザインにて頒布いたします。
初穂料は500円(直書き・書置き共)です。
尚、令和3年5月1日にスタートしました「真岡鐵道沿線御朱印めぐり」ですが、本年3月31日(月)をもちまして終了する運びとなりました。
沿線7社で繋げて完成する御朱印企画は終了いたしますが、引き続き、真岡鐵道をご利用頂いて自然風景を楽しみながら各神社へご参拝頂ければ幸いです。
八雲神社には、江戸期に茂木をおさめていた細川家の茂木藩祖、細川興元公の御霊「大光霊神」さまが祀られています。
昭和19年まで現在の茂木小学校の敷地の南部の約2000㎡の部分に大光神社が鎮座していました。その神社には細川家関係の様々な品物が保管されていました。昭和19年に合祀される際に八雲神社に御霊と共、古文書も含めた財産物品が移管されています。
宮司以下職員は浅学非才の神職なので、草書体で書かれた古文書には手も足も出ない状態です。
宇都宮の古文書を読む会の皆様方が紐解いてくださっていて、本日、ご報告に来てくれました。
約3時間ほど滞在され、レクチャーを受けました。時間をかけて解読頂き本当に有難いです。
「細川長門守様 溝口辰藏返達」
「江戸奉公願ー本多百助-」
「尾崎文之丞より中村勧農衛等宛手紙(十二月二十六日付)
の3書。
ありがとうございました。
祭式研修会
神社の神職の御祈祷やお祭は祭式といわれる細かな規定に基づいて行われます。
本日、栃木県神社庁芳賀支部で祭式研修会が、真岡市の大前神社の会館で行われました。
祭式研修会では、動き方の確認などを行います。
一般に言う「礼」という行動も、15度、45度、60度、90度など、場合場合で使い分ける必要があり、神職はその場合を頭の中で整理する必要があります。意識していても、どうしても自己流になってしまうので、年に1度は祭式研修会に参加して確認を行います。
今回も90度の礼の「拝」がキチンと出来ていなかったのが体感できました。
背筋から頭のてっぺんまで真っ直ぐにして、腰から90度に曲げて3秒保持。が「拝」であります。なかなか厳しいモノがあります・・・。
また、袍という正服、祭服のお召し物をひとりで着装する研修もありました。私は自分で着装できますが、キレイに着装するポイントなども教えて頂きました。
良い研修が出来ました。ありがとうございます。
天皇誕生日は、天皇陛下の誕生日を祝う国民の祝日です。ですから、御代替わりがあるとその日は変更されます。平成の御代は上皇陛下のお誕生日が12月23日でしたので、この日が祝日としてお休みでした。現在は天皇陛下の誕生日は2月23日であるため、毎年この日が祝日となります。
天皇誕生日はかつて「天長節」と呼ばれていました。「天長節」の名称の由来は、「天(天皇)」と「長(永遠に続くこと)」を組み合わせたもので、天皇陛下の長寿と栄華を願う意味が込められています。この名称は、明治時代に制定され、天皇陛下の誕生日を祝うために用いられました。戦後、1948年に祝日法が改正されてからは「天皇誕生日」として祝われるようになりました。
現在の天皇陛下、徳仁(なるひと)天皇陛下は1959年2月23日に誕生されました。陛下は、平成の時代を通じて天皇であった明仁(あきひと)上皇陛下の長男として生まれました。天皇陛下は学術的に優れておられ、オックスフォード大学での留学経験もあります。2019年5月1日に天皇に即位し、令和の御代がはじまりました。徳仁天皇陛下の即位により、平成から令和への新たな時代が始まりました。
お名前は徳仁(なるひと)さま。お誕生日は昭和35年2月23日。ご称号は 浩宮(ひろのみや)さま。お印は 梓(あずさ)。学習院大学文学部史学科ご卒業なされ、英国のオックスフォード大学への留学をなされています。
徳仁天皇陛下は、雅子(まさこ)皇后陛下と結婚されています。皇后陛下は、外交官としての経験を持ち、国際的な視野を持たれた方です。お二人の間には、一人娘の愛子様(敬宮愛子内親王)がいらっしゃいます。
天皇陛下は、伝統と現代の融合を図りながら、日本国民との絆を深めるための活動を積極的に行っています。国内外での公式行事や訪問を通じて、日本の文化や価値を世界に広める役割を果たされています。そして、国民の幸せを祈る神職としての役割も果たされていることを心におさめておきたいものです。
祈年祭は八雲神社では4月3日が祈年祭の祭日として行われております。しかしながら、多くの神社では2月17日に祈年祭が行われています。祈年祭の豆知識をお伝えします。
日本の農業と文化を祝う祭り
祈年祭(きねんさい)は、日本の伝統的な祭りの一つで、毎年 2 月 17 日に行われる春の神事です。この祭りは、五穀豊穣を祈願し、農作物の豊作を願うために行われます。祈年祭は、古くから続く日本の農業文化と深い結びつきを持っており、日本各地でさまざまな形で行われています。
日本の農業社会において、祈年祭は非常に重要な行事とされています。古代から神道の儀式の一環として行われてきた祈年祭は、歴代天皇や皇族によっても奉仕されてきました。記録によれば、祈年祭は奈良時代(8 世紀)にはすでに存在していたとされ、平安時代には宮中行事の一つとして公式に行われるようになりました。
古代の祈年祭は、歴代天皇が主導して行われる国家的な儀式でした。天皇は農業の神々に感謝を捧げ、次の年の豊作を祈願しました。この儀式には、稲や他の穀物の供え物が重要な役割を果たし、神聖な行事として厳粛に執り行われました。
時代が進むにつれて、祈年祭は地域ごとに独自の伝統や風習を取り入れて進化してきました。各地の神社では、地域の農業の繁栄を願うために祈年祭が行われ、その内容も多様化していきました。農村部では、地域の農家が中心となって行う祭りとして、都会では神社や地域コミュニティが主体となって実施されるようになりました。
祈年祭の儀式は、神社を中心に行われ、一連の神道の儀式が含まれます。以下は、一般的な祈年祭の儀式の流れです。
祈年祭の準備は、祭りの数日前から始まります。神社の境内や神殿は清められ、祭壇には稲、米、野菜、果物などの供え物が用意されます。また、神職や参加者は清浄な服装をし、心身を清めて祭りに臨みます。
祭り当日、神職が御神前に進み、神々に祈りを捧げます。祈願の内容は、五穀豊穣や地域の農業の繁栄、農作物の病害虫被害の防止などが含まれます。祈りに際して供え物が御神前に捧げられます。
豊作を願う神職や参列者が手を合わせ、祈りを捧げるとともに、神楽や舞が奉納されます。この儀式は、神々への感謝と祈願の気持ちを表現するものであり、参加者全員が一体感を持って行います。
伊勢の神宮、橿原神宮、宇都宮二荒山神社をはじめ全国的に有名な神社が名を連ねます。これは7世紀後半には既に記録があり、延喜式神名帳記載の全神社が祈願の対象であったことと関係がある。明治時代の神祇官復興により整備された式典が反映されています。祈年祭は重要な国家祭祀と位置づけられ、明治2年(1869年)からは、宮中および全国の官国幣社、あるいは民社でも祈年祭が行われるようになりました。
第二次世界大戦後に日本の国家神道が解体されると、祈年祭から国家的祭祀としての性格は消ましたが、現在も、国や地域の安寧を通して、国民の弥栄を祈念する行事で、ともに、世界の国々の共存共栄を祈っています。さらに、皇居の宮中三殿では皇室の私的な祭祀として天皇陛下、御自ら祭祀に御親拝されています。
宮中三殿は皇居に鎮座する神社です。天皇陛下が斎主として祭祀が行われています。
三殿で行われる祈年祭は年穀豊穣祈願の祭典とされています。天皇陛下、みずから御親拝されています。
祈年祭の由緒と沿革
祈年祭は春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈るお祭りで、「としごいのまつり」とも呼ばれます。「とし」とは稲の美称であり、「こい」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の豊かな稔りを祈ることを意味します。稲の育成周期が日本人の一年といえます。
農耕が生活の中心であった時代、豊作を祈ることは国家の安泰、国民の繁栄を祈ることに他なりませんでした。そのため祈年祭は国家規模で執り行われ、平安時代の『延喜神名式』によると、神宮を始め全国の神社の神々に幣帛が奉られていました。特に神宮には天皇が勅使を差遣されてお祭りを行われており、朝廷の崇敬のほどが窺われます。
新嘗祭の由緒と沿革
新嘗祭は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくことを意味し、収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄をお祈りします。
現在、このお祭りは毎年11月23日に宮中を始め、日本全国の神社で行われていますが、特に宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉るとともに、御親らもその新穀をお召し上がりになります。収穫感謝のお祭りが11月下旬に行われるのは全国各地での収穫が終了する時期に、御親祭を行われたためと考えられています。
神宮では神嘗祭で新穀が奉られるため、新嘗祭はありませんでしたが、明治5年に勅使が差遣されて行われたのが始まりです
祈年祭は、日本の農業と文化に深く根ざした祭りであり、現代においてもその意義は変わりません。農作物の豊作を祈ると同時に、地域の結びつきを強める役割も果たしています。
祈年祭は、地域の人々が一堂に会し、共に祈りを捧げる機会となります。この祭りを通じて、地域コミュニティの結束が強まり、お互いの協力関係が深まります。また、地域の伝統や文化を次世代に伝える大切な役割も果たしています。
祈年祭は、農業の重要性を再認識する機会でもあります。現代社会では、農業は私たちの生活に欠かせない基盤であるにもかかわらず、その重要性が忘れられがちです。祈年祭を通じて、農業の大切さを再認識し、自然との共生を考えるきっかけとなります。
現代の社会変化に伴い、祈年祭も新たな形で進化しています。都市部での開催やオンラインでの配信など、時代に合わせた新しい形態が取り入れられています。しかし、祈年祭の本質である五穀豊穣の祈願や地域の結びつきの強化は、これからも変わることなく受け継がれていくでしょう。
祈年祭は、日本の豊かな農業文化と深い関わりを持つ重要な祭りです。今後もこの伝統が大切に守られ、次世代に引き継がれていくことを願っています。
3月3日の上巳(じょうし)の節句にちなみ、特別御朱印を頒布いたします。
ひしもちをイメージした3色の花菱文様と桃の花の絵柄が入った、ひなまつり限定の特別御朱印です。
頒布期間は2月15日(土)~3月15日(土)、初穂料は500円(直書き・書置き共)です。
*頒布中の御朱印は全て、朱印帳への直書き・書置き共に対応しておりますが、社務所の状況によっては、書置きのみの対応とさせていただく場合があります。予めご了承ください。
*社務所の開所時間は午前9時~午後5時です。
御朱印の拝受をご希望の方は、午後4時頃までにご来社いただけますよう、何卒ご協力をお願いいたします。
*ご事情により参拝が難しい方のため、郵送での御祈祷、御札・授与品・御朱印の頒布を受け付けております。
建国記念の日の由来と意義
日本の歴史と文化を祝う日
建国記念の日は、日本の建国を祝うために制定された国民の祝日です。毎年2月11日に祝われ、この日は日本の古事記・日本書紀〔記紀〕に基づいており、初代天皇である神武天皇が即位したとされる日です。神武天皇は記紀に記され、紀元前660年に初めて天皇として即位したとされています。この日は、日本の国家としての成り立ちを記念する日として、明治時代に初めて公式に祝われるようになりました。
建国記念の日は、もともとは「紀元節」として知られていました。紀元節は明治時代に制定され、日本の建国と皇室の弥栄を祝う日として位置づけられました。しかし、第二次世界大戦後の1948年に、占領軍GHQの指示により紀元節は廃止されました。その後、1966年に「建国記念の日」として再び制定され、1967年から現在の祝日として祝われるようになりました。
建国記念の日は、日本人にとって多くの意義を持つ日です。以下にその主な意義を挙げます。
建国記念の日は、日本の長い歴史と豊かな文化を再認識する機会となります。日本は、古代から続く皇室や皇室に基づく独自の文化を持つ国であり、その歴史を振り返ることで、日本人としてのアイデンティティや誇りを感じることができます。この日は、学校や家庭で歴史を学び、伝統行事や文化活動を通じて、次世代にその価値を伝える大切な日となっています。
建国記念の日は、国民が一体となって祝う日でもあります。全国各地で行われる式典やイベントを通じて、国民同士の絆が強まり、共に祝うことで国民の団結力が高まります。休日ですので、この日は家族や友人と共に過ごし、親しい人々との絆を深める機会といたしましょう。
建国記念の日は、過去の歴史を振り返るだけでなく、未来への希望や願いを込める日でもあります。日本は、戦後の復興と発展を遂げ、現在では経済大国として世界に誇る国となりました。しかし、その繁栄は平和な社会の上に成り立っています。この日は、平和と繁栄を守り続けるための決意を新たにする日でもあり、次世代に平和な社会を引き継ぐ責任を再認識する機会となります。
建国記念の日には、全国各地で様々な祝祭行事が行われます。以下にその主な行事を紹介します。
多くの神社や仏閣では、建国記念の日に特別な祈願祭や法要が行われます。これは、国家の安泰や国民の幸福を祈るためのものです。特に、神武天皇を祀る橿原神宮や伊勢神宮では盛大な祭典が行われ、多くの参拝者で賑わいます。
各地方自治体や学校では、建国記念の日に合わせて式典やパレードが開催されます。これらの行事では、国旗掲揚や国歌斉唱、祝辞などが行われ、国民の愛国心を高める機会となります。また、地元の伝統芸能や文化活動も披露され、地域の活性化にも寄与します。栃木県神社庁では宇都宮の栃木懸護国神社で式典が行われます。
建国記念の日は、多くの人々が家族や友人と共に過ごす日でもあります。家庭では、特別な料理やお祝いの品を用意し、親しい人々との絆を深めます。また、この日は地域のコミュニティーや友人たちと集まり、共に祝うことが一般的です。
建国記念の日は、過去の歴史を振り返り、現在の繁栄を感謝し、未来への希望を込める日です。この日を通じて、日本人としてのアイデンティティや誇りを再認識し、次世代にその価値を伝えることが重要です。また、平和と繁栄を守り続けるために、国民一人ひとりが責任を持ち、共に努力していくことが求められます。建国記念の日は、未来への希望を胸に、国民が一体となって祝う日であり続けるでしょう。
2月23日の天皇誕生日をお祝いし、特別御朱印を頒布いたします。
ともに千年の寿命があるとされる鶴と松を組み合わせた「松喰鶴(まつくいづる)」と、鶴と雲を組み合わせた「雲鶴(うんかく)」、2つの有職文様をイメージした、おめでたい絵柄です。
頒布期間は2月10日(月)~28日(金)、初穂料は500円(直書き・書置き共)です。
*頒布中の御朱印は全て、朱印帳への直書き・書置き共に対応しておりますが、社務所の状況によっては、書置きのみの対応とさせていただく場合があります。予めご了承ください。
*社務所の開所時間は、午前9時~午後5時です。
御朱印の拝受をご希望の方は、極力午後4時頃までにご来社いただけますよう、何卒ご協力をお願いいたします。
2月2日(日)、八雲神社節分祭追儺式が行われました。
午前中は、家内安全講祈願祭が行われました。
八雲神社ほか関係神社の氏子総代・世話人各位にご参列頂き、氏子・崇敬者のみなさまへ家内安全の御札が配られました。
午後は、今年数え42歳の厄年を迎える年男の皆様の厄除祭と、茂木町内外の事業所等の首長さまを中心とした八雲神社節分講社の祈願祭が行われました。
神事と記念写真撮影のあとは、いよいよ豆撒きです。
まずは年男の皆さんによる豆撒きです。
福豆、福銭のほか、お菓子や雑貨などが撒かれました。
続いて節分講による豆撒きです。
こちらも、たくさんの福豆やお菓子などのほか、節分講加盟者有志の皆様にご提供いただいた、キャンディー、ボールペン、おもちゃ、トイレットペーパー、はとむぎ茶など、また和菓子、卵、納豆の引換券などの「福」が撒かれました。
豆まきの後は、参宝殿にて節分講の総会と直会が行われ、節分講加盟者でもあるホテル若葉さんのお料理を囲みながら、親交を深めていただきました。
昼頃まで雪がちらつくあいにくの空模様でしたが、午後には雪も止み、無事に神社境内にて神事と各行事を行うことができました。
家内安全講加盟者のみなさま、年男のみなさま、節分講社のみなさま、また豆撒きに参加されましたみなさまの今年一年のご多幸を祈念いたします。