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2025年2月17日月曜日

全国で行われる祈年祭

 

祈年祭について

祈年祭は八雲神社では43日が祈年祭の祭日として行われております。しかしながら、多くの神社では217日に祈年祭が行われています。祈年祭の豆知識をお伝えします。

日本の農業と文化を祝う祭り

祈年祭(きねんさい)は、日本の伝統的な祭りの一つで、毎年 2 17 日に行われる春の神事です。この祭りは、五穀豊穣を祈願し、農作物の豊作を願うために行われます。祈年祭は、古くから続く日本の農業文化と深い結びつきを持っており、日本各地でさまざまな形で行われています。

祈年祭の歴史

日本の農業社会において、祈年祭は非常に重要な行事とされています。古代から神道の儀式の一環として行われてきた祈年祭は、歴代天皇や皇族によっても奉仕されてきました。記録によれば、祈年祭は奈良時代(8 世紀)にはすでに存在していたとされ、平安時代には宮中行事の一つとして公式に行われるようになりました。

古代の祈年祭

古代の祈年祭は、歴代天皇が主導して行われる国家的な儀式でした。天皇は農業の神々に感謝を捧げ、次の年の豊作を祈願しました。この儀式には、稲や他の穀物の供え物が重要な役割を果たし、神聖な行事として厳粛に執り行われました。

祈年祭の進化

時代が進むにつれて、祈年祭は地域ごとに独自の伝統や風習を取り入れて進化してきました。各地の神社では、地域の農業の繁栄を願うために祈年祭が行われ、その内容も多様化していきました。農村部では、地域の農家が中心となって行う祭りとして、都会では神社や地域コミュニティが主体となって実施されるようになりました。

祈年祭の儀式

祈年祭の儀式は、神社を中心に行われ、一連の神道の儀式が含まれます。以下は、一般的な祈年祭の儀式の流れです。

神事の準備

祈年祭の準備は、祭りの数日前から始まります。神社の境内や神殿は清められ、祭壇には稲、米、野菜、果物などの供え物が用意されます。また、神職や参加者は清浄な服装をし、心身を清めて祭りに臨みます。

神前での祈願

祭り当日、神職が御神前に進み、神々に祈りを捧げます。祈願の内容は、五穀豊穣や地域の農業の繁栄、農作物の病害虫被害の防止などが含まれます。祈りに際して供え物が御神前に捧げられます。

豊作を願う神職や参列者が手を合わせ、祈りを捧げるとともに、神楽や舞が奉納されます。この儀式は、神々への感謝と祈願の気持ちを表現するものであり、参加者全員が一体感を持って行います。

217日に祈年祭を行う神社

伊勢の神宮、橿原神宮、宇都宮二荒山神社をはじめ全国的に有名な神社が名を連ねます。これは7世紀後半には既に記録があり、延喜式神名帳記載の全神社が祈願の対象であったことと関係がある。明治時代の神祇官復興により整備された式典が反映されています。祈年祭は重要な国家祭祀と位置づけられ、明治2年(1869年)からは、宮中および全国の官国幣社、あるいは民社でも祈年祭が行われるようになりました。

第二次世界大戦後に日本の国家神道が解体されると、祈年祭から国家的祭祀としての性格は消ましたが、現在も、国や地域の安寧を通して、国民の弥栄を祈念する行事で、ともに、世界の国々の共存共栄を祈っています。さらに、皇居の宮中三殿では皇室の私的な祭祀として天皇陛下、御自ら祭祀に御親拝されています。

宮中三殿(宮内庁HPなど)

宮中三殿は皇居に鎮座する神社です。天皇陛下が斎主として祭祀が行われています。

三殿で行われる祈年祭は年穀豊穣祈願の祭典とされています。天皇陛下、みずから御親拝されています。

伊勢の神宮(公式HPより)

祈年祭の由緒と沿革

祈年祭は春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈るお祭りで、「としごいのまつり」とも呼ばれます。「とし」とは稲の美称であり、「こい」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の豊かな稔りを祈ることを意味します。稲の育成周期が日本人の一年といえます。

農耕が生活の中心であった時代、豊作を祈ることは国家の安泰、国民の繁栄を祈ることに他なりませんでした。そのため祈年祭は国家規模で執り行われ、平安時代の『延喜神名式』によると、神宮を始め全国の神社の神々に幣帛が奉られていました。特に神宮には天皇が勅使を差遣されてお祭りを行われており、朝廷の崇敬のほどが窺われます。


新嘗祭の由緒と沿革

新嘗祭は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくことを意味し、収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄をお祈りします。

現在、このお祭りは毎年1123日に宮中を始め、日本全国の神社で行われていますが、特に宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉るとともに、御親らもその新穀をお召し上がりになります。収穫感謝のお祭りが11月下旬に行われるのは全国各地での収穫が終了する時期に、御親祭を行われたためと考えられています。

神宮では神嘗祭で新穀が奉られるため、新嘗祭はありませんでしたが、明治5年に勅使が差遣されて行われたのが始まりです

 

 

祈年祭の意義と現代の役割

祈年祭は、日本の農業と文化に深く根ざした祭りであり、現代においてもその意義は変わりません。農作物の豊作を祈ると同時に、地域の結びつきを強める役割も果たしています。

地域コミュニティの結束

祈年祭は、地域の人々が一堂に会し、共に祈りを捧げる機会となります。この祭りを通じて、地域コミュニティの結束が強まり、お互いの協力関係が深まります。また、地域の伝統や文化を次世代に伝える大切な役割も果たしています。

農業の重要性の再認識

祈年祭は、農業の重要性を再認識する機会でもあります。現代社会では、農業は私たちの生活に欠かせない基盤であるにもかかわらず、その重要性が忘れられがちです。祈年祭を通じて、農業の大切さを再認識し、自然との共生を考えるきっかけとなります。

祈年祭の未来

現代の社会変化に伴い、祈年祭も新たな形で進化しています。都市部での開催やオンラインでの配信など、時代に合わせた新しい形態が取り入れられています。しかし、祈年祭の本質である五穀豊穣の祈願や地域の結びつきの強化は、これからも変わることなく受け継がれていくでしょう。

祈年祭は、日本の豊かな農業文化と深い関わりを持つ重要な祭りです。今後もこの伝統が大切に守られ、次世代に引き継がれていくことを願っています。

 

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