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11月3日(火・祝)の「もてぎうまいもの市」開催に伴う交通規制について

11月3日(火・祝)、「もてぎうまいもの市」 開催に伴い、周辺道路の 交通規制 が行われます。   規制区域  縦町通り 大町丁字路~茂木駅前交差点  規制期間  11月3日(火・祝)午前9時~午後4時 車両全面通行止め 当日、上記時間内にお車にて神社にお参りされる方は、イベント...

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2026年9月21日月曜日

熊本との関係

熊本地震復興への義捐金を募るにあたり、熊本城をモチーフに御朱印を作りました。そこで、茂木町・八雲神社と熊本とのつながりを整理してみました。 義捐金へのご協力をよろしくお願いします。

 江戸期の茂木は細川家の領地でした

茂木は江戸時代、細川家が治める領地でありました。それ以前は、鎌倉時代の始まる頃に入部した八田氏が支配し、のちに姓を茂木氏と改めて関ヶ原の合戦まで続きます。史跡である茂木町の城山公園の地には城郭が築かれていました。その後、須田氏が入部し、1610年に細川興元公が領主として茂木に入ります。


江戸期 茂木の領主・細川家

茂木町のうち、茂木地区・中川地区が細川家の領地で、須藤地区は那須、逆川地区は宇都宮に所縁の深い領地でした。

茂木細川家藩祖・細川興元

初代の細川興元公は、京都で活躍した細川藤孝の次男であり、細川忠興の実弟、熊本城に入った細川忠利の叔父に当たります。戦国時代、父・藤孝は足利将軍に仕え、その後は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えました。言い換えれば、時代を上手にわたり歩く、信頼も厚い武将でした。実子の忠興・興元兄弟も武勇に秀で、国内や朝鮮での戦いで活躍しました。

忠興・興元兄弟は関ヶ原の戦いの功績により、1602年に豊前小倉の領主として入部し、7年の歳月をかけて小倉城(現存する小倉城)を築城しました。興元は忠興との仲違いを理由に出奔し、関西で過ごします。

徳川家康・秀忠は、覚え目出度い興元に忠興との和睦を命じ、1610年に茂木へ入部させ、新たに茂木細川家が立藩することになります。1616年には現在のつくば市谷田部も加増され、江戸に近い谷田部が本拠地となり、茂木は谷田部藩茂木領となります。

細川興元は神となる

細川興元が1619年に亡くなると、領民はその偉功を偲び、現在の茂木小学校南側に「大光神社」を創建しました。1944年(昭和19年)、戦時中に老朽化が著しかったため、八雲神社へ御霊を遷して合祀され、現在は八雲神社の相殿神として奉られています。

江戸時代が終わるまでの約250年間、細川家は谷田部・茂木の領地をよく治めました。その間、熊本細川家・八代松井家とのつながりも保ち、援助も多大にあったとされています。

細川家は時代の教科書には大きく載りませんが、多くの日本人が知る歴史の小話に関わる、大変興味深い家柄です。細川家を調べながら歴史の教科書を読むと、より楽しく学べることでしょう。

 


2025年10月2日木曜日

栃木県神社庁神宮大麻・暦頒布始報告祭

 

栃木県神社庁神宮大麻・暦頒布始報告祭

本日、10月2日、栃木県神社庁神殿にて、祭典が行われました。

神宮大麻 

神宮大麻は伊勢の神宮で奉製される御神札のことです。全国の8万社にものぼる神社を通して、日本国中にお配りされます。伊勢の神宮は全国の神社の神職や総代によりおまもりされているともいえます。新年を迎えるにあたり、栃木県内でもこれから各家庭にお配りされます。都会の神社では神社のお神札所で任意にお求めになる事もできますが、私どものような地域に密着した神社では、昨年、神宮大麻をお求めいただいた方々用に今年のも伊勢の神宮にお願いして準備いただいています。

伊勢の神宮では9月に、栃木県神社庁は本日10月2日に、そして、各支部でもお祭が行われ、各神社に届けられます。丁寧に何度もお祀りされて各家庭に届けられますので、皆様方は、ぜひ毎年新しい御札を求めていただき、神棚にお祀りして、各家庭の安寧はもちろんのこと、地域や日本国の繁栄と世界の共存共栄をお祈りして下さい。そのお気持ちが行動に表れて願いが叶うことと思います。

 

栃木県神社庁にて

さて、本日の祭典では、栃木県神社庁中磨輝美庁長(日光二荒山神社宮司)さまが斎主をつとめ、祭員6名、怜人(雅楽奏者)3名の合計9名の神職により祭典奉仕がなされました。

 

私こと、小堀真洋は芳賀支部事務局長・教化委員会委員長としてご案内を頂きましての参列をいたしました。教化委員会は役員が参列しました。

 

 

 

 神社庁の役員(各支部長・事務局長・総代会長)で約50名が参列しました。祭典の後、頒布優良従事者の表彰や神宮大麻の授与・直会が行われました。

 

 

 

直会の席で訓辞

直会では中磨庁長、寺内総代会長、黒川顧問からご挨拶があり、訓辞として有難くたまわりました。

神宮大麻の頒布が毎年減り続けていること。栃木県内の神職・総代が一丸となって頒布の奉仕に携わること、本日のこの祭典が栃木県神社庁神殿での例祭としての意味があること、などの言葉が、印象的でした。

 

日本国の国柄にも通じる神社の護持運営は、家庭での神棚まつりでその心も育まれ、地域の神社への協力に繋がる事で達成されます。戦後、神宮大麻をお祀りする家庭は年々減少の一途。将来が危ぶまれます。日本の文化や歴史を大切にするためにも、ぜひ、神宮大麻と氏神神社大麻をおまつりする正式な方法で家庭の神棚をおまつりしてくださいね。

http://www.tochigi-jinjacho.or.jp/?p=2799

2025年8月30日土曜日

御嶽神社風祭

 御嶽神社の風祭

 




御嶽神社は茂木高等学校前の神社です

 

運動部の皆さんはここの階段や山道を駆け上ってトレーニングをしたことでしょう

 

風祭が行われました

風祭は立春から210日(にひゃくとうか)で行う事が多いです

嵐による稲穂が倒れてしまうことがあります。嵐除けの願いを込めて行われるお祭です。

稲穂だけで無く農業や、全ての生業が暴風による悪影響がおきないよう、努力の成果が良き実りになるようにと願いを込めて祭典奉仕をいたしました。

 

氏子さんによるお囃子も奉奏されました

感謝 

2025年8月23日土曜日

飯野菅原神社奉燈祭

 飯野菅原神社 奉燈祭

 

茂木町飯野鎮座の菅原神社

 

奉燈祭が取り行われました

夕暮れせまる午後6時頃

奉燈祭が行われます

 








万燈といわれる飾りが合計16本

とても綺麗です

灯籠には花の飾りが付けられています

稲穂が良く実るように祈る「予祝」の行事です

 

「予祝」とは将来実現したい夢や目標を「すでに叶ったこと」として捉え、あらかじめ慶び、祝うことで、その実現を引き寄せるという日本古来の神道的な考え方です。七五三なども「予祝」の行事です。 

 

その後、打ち上げ花火が奉納されました

 

稲の収穫までもう少し。良き実りを

感謝 

2025年8月15日金曜日

栃木縣護國神社 戦没者追悼平和祈願祭




 


栃木縣護國神社終戦80年を迎えて

 

 

8月15日   終戦の日。終戦記念日。敗戦の日。

先の大戦、大東亜戦争、太平洋戦争、第二次世界大戦。未だに、その名称が確定されていない日本国内において、(あえて申し上げると)大東亜戦争終結80年を迎えました。

 

各県の護国神社にも参拝を・・・。 

東京九段の靖國神社と同様に、各県の鎮座する護国神社では祭典が奉仕されます。何かと話題になる靖國神社のみならず、お住まいの県でも、ぜひお参りください。また、各市町村に招魂社や忠魂碑が鎮座されているかもしれません。様々な喧噪に惑わされず、平和への祈りをささげる場は沢山ございます。

 茂木町忠魂碑へ参拝

護國神社へ出発する前に、茂木町の忠魂碑へ参拝。普段から訪問する場所に鎮座しますのでその度に手を合わせます。1085柱の英霊の御霊が祀られています。

 


 

 

 

 

 

 

 

戦没者追悼平和祈願祭 

栃木県では栃木縣護國神社にて「戦没者追悼平和祈願祭」が挙行されています。

本年、栃木県神社庁教化委員会では大東亜戦争終結80年を迎え、恒久的な平和を祈願する神社としてのこの祭典を広く知らしめることを目的に助勢奉仕を致しました。

 

 

 

 
























 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

遺族会の木村好文様、栃木県知事福田富一様をはじめとする県内の国会議員、県議会議員、県内各市町の遺族会の皆さまが参列されてのこの祭典は、厳粛な祭典として奉仕されました。本年は10年毎に陛下から神幣料を賜っての祭典は大祭式として行われました。

 

 正午に黙祷

栃木縣護國神社稲寿久宮司のもと、午前11時から祭典が開始。正午には日本武道館での全国戦没者追悼式の様子をラジオ中継され、時を併せて黙祷と陛下の御言葉を拝聴いたしました。

栃木県神社庁では教化委員会から助勢奉仕4名(祭典奉仕2名、記録奉仕2名)と青年神職むすび会2名の計6名の奉仕をさせていただきました。

酷暑といわれる今年の夏ですが、参列の皆さまはスーツとネクタイを着用し、英霊への慰霊の気持ちを顕していらっしゃいました。

 

平和な国家運営が刺される中、靖國神社護國神社の恒久的平和の理念は実現されています。今後は遺族が少なくなっていくことでしょう。遺族以外の皆様の参列がなされて、末永く平和祈願祭が行われますことを願い、今後もその一助となりたいと考えております。

2025年8月13日水曜日

栃木懸護國神社 みたま祭り

栃木縣護國神社 終戦80年を迎え

八雲神社宮司は栃木県神社庁教化委員会委員長を務めております。

栃木懸護國神社で例年行われている

13日の「みたま祭り」。15日の「戦没者追悼平和祈願祭」へ

教化委員会による助勢奉仕を企画しました。

大東亜戦争終結80年を迎え、戦禍に倒れた方々へ想いを致し、慰霊、顕彰の誠を捧げたいと想います。また、恒久的な平和を実現する為に、国政や生活がどうあるべきかも真剣に考えていきたいと思います。そういった平和な世界の実現に向け、靖國神社や各県の護国神社への参拝をすすめる契機としたいとも考えています。




 

 みたま祭り

毎年、8月13日には夕刻より「みたま祭り」「和楽盆踊り」「献灯・献水の儀」が行われます。

教化委員会の教化研修部門がこのお祭りの広報と献灯事業助成を担いました。

準備においては部門長の真岡市大前神社の栁田祢宜さんが中心となり、企画と運営を行って頂きました。

県内の協力神社への灯籠への祈願文の書き込みや収集を行い、栃木縣護國神社での平和希求への取り組みを事前に広報していただきました。当日は、収集した灯籠の献灯作業をおこないました。 部門長からの声掛けもあり、青年神職むすび会(小林会長(下野市星宮神社祢宜))でも協力してくださりました。

例年は降雨に見舞われることが多いそうですが、今年は晴天に恵まれました。まだ日も高い夕刻から、黄昏時を経て、夜に至る時間に行われます。提灯や外商商店が醸し出す情景や和楽音頭の音楽やヒグラシの蝉時雨が醸し出す境内の風情は、幸せな雰囲気に包まれていました。

みたま祭りの儀式

午後5時半。拝殿にて「みたま祭り」が奉仕されました。

稲寿久宮司の祝詞奏上に続き、盆踊りの踊り手の代表の方の玉串奉奠。その後、お役目で、教化委員会小堀委員長(八雲神社宮司)、むすび会小林会長(星宮神社祢宜)が玉串奉奠を行いました。の直ぐ外には奉仕頂く神職の皆さんが一緒に参拝をしてくれました。

 





 

和楽盆踊り

午後6時ごろ。和楽盆踊りが行われました。献灯助成事業を企画した栁田部門長からも主旨説明がありました。

和楽盆踊りは「日光和楽踊り」が起源の盆踊りです。茂木町でも以前はこの楽曲の替え歌で茂木町独自の歌詞が付けられての盆踊りが行われていました。ですので、とても懐かしい気持ちになりました。踊り自体はとても優雅に見えましたが、茂木町の盆踊りの振り付けとほぼ一緒でした。 


献灯・献水の儀

午後8時には「献灯・献水の儀」が行われました。護國神社に奉納された灯籠には戦禍に倒れた方々の謚(おくりな・死後の名前)が「○○命」として記されていました。その蝋燭に命の魂がいらっしゃることと想われて、生前の思いや希望、苦しみや哀しみ等に思いをはせる時間となりました。献灯や献水にはお子さん連れの方々が多かったことに驚きと希望を感じる事ができました。

 


 






感謝 

 盆踊りという楽しい行事と慰霊という真摯な行事が混在する時間を過ごすことが出来たことに感謝します。

 

 

80年という機会を得て、栃木縣護國神社のこれまでの取り組みを知ることができました。末永く、この行事がつづき、英霊の慰霊と顕彰、平和希求の祈りがより多くの人達から添えられるよう、皆さまにも、行事へ参加して頂けたら幸いです。 

2025年7月28日月曜日

祇園祭 引継式

 

引継式

引継式は当番町の下番から上番に当番町を引き継ぐ行事です。

還御祭の次の日に行われます。御神輿の関係の品の片付けや、昔から継承されている御神宝の引継などが行われます。

 

 

 
 







 

上の町から下新町へ。

 

 

 以前は両町内会で一升ずつの御神酒を召し上がっていただいたのですが、コロナ禍を過ぎ、アルコールハラスメントなる心配もあり、適切な酒量にて修める事と成りました。

  

無事に引継がおこなわれました。