御嶽神社の風祭
御嶽神社は茂木高等学校前の神社です
運動部の皆さんはここの階段や山道を駆け上ってトレーニングをしたことでしょう
風祭が行われました
風祭は立春から210日(にひゃくとうか)で行う事が多いです
嵐による稲穂が倒れてしまうことがあります。嵐除けの願いを込めて行われるお祭です。
稲穂だけで無く農業や、全ての生業が暴風による悪影響がおきないよう、努力の成果が良き実りになるようにと願いを込めて祭典奉仕をいたしました。
氏子さんによるお囃子も奉奏されました
感謝
緑豊かな里山の町・栃木県茂木町に鎮座するお宮です。 節分祭や祇園祭などをはじめとする祭典の模様はもちろん、社頭でのできごとや、神社、近隣のイベントのおしらせ、神職、職員の日常などについて、のんびりと綴っていきます。
八雲神社の「新嘗祭」特別御朱印 を頒布いたします。 頒布期間は11月1日(土)より30日(日)まで、初穂料は1000円(直書き・書置き共) です。 尚、11月は、土・日曜日を中心に、七五三等のご祈祷が多い時期となります。御朱印につきましては、 社務所の状況により、書置きのみの...
御嶽神社の風祭
御嶽神社は茂木高等学校前の神社です
運動部の皆さんはここの階段や山道を駆け上ってトレーニングをしたことでしょう
風祭が行われました
風祭は立春から210日(にひゃくとうか)で行う事が多いです
嵐による稲穂が倒れてしまうことがあります。嵐除けの願いを込めて行われるお祭です。
稲穂だけで無く農業や、全ての生業が暴風による悪影響がおきないよう、努力の成果が良き実りになるようにと願いを込めて祭典奉仕をいたしました。
氏子さんによるお囃子も奉奏されました
感謝
ー私こと小堀真洋が司会を務めていたため、写真がありません。あしからずー
全国の神社は神社本庁と各県の神社庁を包括法人として運営されています。そして、「支部」があり、八雲神社は「栃木県神社庁芳賀支部」に所属しています。とはいえ、各神社はそれぞれで営まれておりまして、独利した神社が支部に所属していて、独立した神社の仕事の一部として神職がその運営に携わっている組織です。それぞれの神職さんの時間を使ってボランティア的に運営されていますが、その運営には責任もあり、厳正厳粛に運営されています。
さて、神社振興対策懇談会は氏子の代表である総代さん達に出席していただき、現状の神社界の有り様や目指すべき神社運営の方向性を共有する機会となっています。
本年は芳賀郡市内約80名の総代の皆さま方が出席で行われました。
芳賀支部小幡支部長、総代連合会大越会長、神政連芳賀支部峯田支部長のほか栃木県神社庁の稲副庁長、神政連栃木県本部栁田本部長などから挨拶とも訓話ともとれるお話しがございました。また、来賓に栃木県議会議員岩崎先生、山形先生、石坂先生がお越しになり代表して岩崎先生から祝辞をいただきました。
その後、國學院大学菅浩二先生からの講話をいただきました。英霊顕彰のお話しでたいへん勉強になりました。
今年度は全国護國神社会で制作したポスターには「知っていますか 命をかけて私たちを 守ってくれた人たちのこと」というキャッチコピーがあります。そして、メッセージが語られるのですが、そのメッセージに呼応する「ある『英霊の言の葉』」が紹介されました。「英霊の言の葉」は英霊からの手紙のこと。「ある『英霊の言の葉』」は栃木県出身渡辺研一命(享年29)からその奥さまに宛てられたお手紙です。
知っていますか
命をかけて私たちを
守ってくれた人たちのこと
あなたは知っていますか
私たちのために戦った人たちのこと
あなたは聞こえますか
私たちを守ってくれた人たちの声
あなたはわかりますか
私たちのために戦った人たちの思い
令和七年は終戦より八十年目の年です
全国に五十二社鎮座する護國神社は
日本を守るために戦歿された
二百四十六万余柱のみたまをお祀りし
日々平和を祈念しています
陸軍中尉 渡辺研一 命
昭和二十年五月二十七日 沖縄本島喜屋武にて戦死
栃木県出身 東京大学卒 二十九歳
「沖縄の戦陣より妻へ」
まだお便りする機会は何度かありませう。しかし時機はいよいよ迫りつつあります。それが何時であるかはもとより予測することは出来ませんが、おそらくは、あなた達の予想外の速さでやつて参りませう。その時の来ない中に、言ふべき事は言つて置きたいと思います。然し、いざペンをとつてみると今更乍ら申すことのないのに気がつきます。今の私は強くあらねばなりません。寂しい、悲しいといふやうな感情を振り捨てて与へられた使命に進まなければならぬ立場にあるのです。ただ一切を忘れて戦つて戦つて戦ひ抜きたいと思ひます。不惜身命 生きる事は勿論、死ぬことすらも忘れて戦ひたいと念じて居ります。南海の一孤島に朽ち果てる身とは考へずに、祖国の周囲に屍のとりでを築くつもりで居ります。何時かはあなた達の上に光栄の平和の日がおとづれて来ることと思ひます。その日になつて私の身を以てつくしたいささかの苦労を思ひやつて下されば私達は、それで本望です。
愛する日本、その国に住む愛する人々、その為に吾等は死んで行くのだと考へることは真実愉しいものです。運命があなたにとつての良き夫たることを許さなかつた私としては さう考へることによつて あなたへの幾分の義務を果たし得たやうな安らかささへ覚えます。
一度戦端が開かれれば、一切の手段をつくし最善の道を歩むつもりです。万一の事があつたさい、たとへ 一切の状況が不明でもあなたの夫はこのやうな気持ちで死んで行つた事だけは、さうして最後まで あなたの幸福を祈つて居た事丈は 終生 覚えてゐていただきたいと思ひます。
その後体の調子は相変らず、すこぶる好調です。いつも乍ら御自愛を祈ります。
御機嫌よう。
昭和二十年二月十日
久しぶりに管理機を活用
境内の玉砂利の中から出てきた雑草除去を行おうと・・・
したところ、管理機が動かない・・・
農場に置いておいた管理機
ビニールシートを被せて置いておいたのに
管理機が故障した
エンジンをかけるとかかる
しかし、回転数が高いまま・・・
元に戻らない
元に戻らないのは困る
エンジンが唸りを上げて・・・そのまま
最初はかなりビックリした
試しにをチョークをひいたらエンジンが止まってくれた
分解できそうなところを分解したがダメ・・・
農機具屋さんに持ち込んで見てもらったところ
アクセルワイヤーがキャブレターのところで固着していたとのこと
直ぐに直してくれました
ありがとうございました
玉砂利を耕耘してみたところ
雑草が浮いてとても作業がはかどりました 感謝
栃木県のみならず、全国の各県には青年神職の集う会が有ります。
栃木県では特別に「むすび会」という名前がついています。格好いいですね。
さて、本年は大東亜戦争終結80年を迎えて開催されることになりました。
案内が来ましたので参加させていただきました。
場所は栃木縣護國神社会館
先ずは、ご神前に感謝しつつ参拝をいたしました。
講義のメインは静岡県の横山俊英先生。「平和の語り部」としてご活躍の83才。
講演のあとは、参加者で英霊顕彰について、思いを語り合いました。
私こと小堀真洋は、戦争の無い平和な80年を過ごし、新たな英霊が生まれないことに感謝しつつ、末永く英霊顕彰を続けられるようにすることは不戦平和への道だと話をしました。
横山俊英さんは静岡県出身で、「平和の語り部」として活躍されている83歳の先生です。栃木縣護國神社会館で行われた英霊顕彰事業「かたりべの会」では、メインスピーカーとして招かれました。その経験や思いを語る姿勢が、多くの方々に平和の大切さを伝えています。そして、「語り部育成推進委員会」委員長をおつとめとのこと。この会について調べてみました。次世代へ語り継ぐ平和と記憶の架け橋としての活動をされているそうです。会の目的は、歴史的体験や戦争の記憶を次世代へ伝える「語り部(かたりべ)」の育成を目的として設立されています。戦争や災害などの貴重な体験を直接語れる方々が高齢化する中、その証言を記録し、若い世代がその意志や知恵を受け継ぐことは、平和で持続可能な社会を築くうえで非常に重要です。とのこと。
主な活動は以下の通り
l 戦争・災害体験者の証言の収集と記録
l 語り部候補者への研修やワークショップの開催
l 学校や地域イベントでの語り部派遣
l 映像・音声・文章による証言アーカイブの作成
l 全国語り部ネットワークとの連携や情報交換
語り部の活動は、単に過去の出来事を伝えるだけではありません。平和の尊さ、多様な価値観の大切さ、人と人とのつながりの意味を、心を込めて次世代に語り継ぐ使命があります。特に、戦争体験の風化を防ぎ、未来に向けた平和の種をまくことが期待されています。
語り部育成推進委員会は、今後も新たな語り部の発掘・育成に力を注ぎ、デジタル技術を活用した証言の保存や、グローバルな視点からの平和教育にも取り組んでいきます。子どもたちや若者が歴史から学び、未来を築く力を身につけられるよう、社会全体で支えていくことが求められています。
講話を聞く前は「戦争の悲惨さと平和の大切さを語るのだろう」と思っていました。実際に、3人の親族を戦争で亡くされた横山先生のお話には身につまされるおもいがしました。しかし、それだけでは無く、「戦争に至る経緯」、「戦勝国の戦後処理への不満」などもあり、善悪で語りきることは出来ない心情の複雑さに心がふるわされました。
その後、栃木県内の遺族会の方と談話の時間がありました。私は、小山市在住の遺族会の方とお話しをする機会をいただきました。小山市での英霊顕彰の取り組みなどとても参考になりました。私は現在53才ですが、神職養成講座をうけた約30年前は「靖國神社問題」「従軍慰安婦問題」など現在よりもより左翼思想の強い時代で、英霊顕彰について、現在は発言しやすい時代になってきたと感じていることを述べました。
戦後80年間、戦争が起きず、英霊の子孫が少なくなってきたことは良きことであります。英霊の存在を遠くに感じる事になっていくことでしょう。時々は、平和で豊かな生活に感謝し、「英霊の考え」に思いをいたし、英霊に恥じることの無い自分自身でありたい。その先に日本国や地域も誇りをもって見守ってもらいたいと考える機会になりました。ありがとうございます。