お天気にも恵まれ、また金曜日だったこともあってか、遅い時間までたくさんの参拝者の方で賑わいました。
その賑わいと打って変わって、今日は朝からしとしととこの時期らしい”お清め”の雨空です。
ところで、昨日のご神事の直会としてご用意したものの一つに「粟(あわ)飯」があります。
普段、お祭りの際にはお赤飯が普通かと思いますので、新しく総代さんになられた方の中には、この見慣れないご飯は何だろう? と思われた方も多かったかもしれません。
これは、茅の輪くぐりの神事の由来となった神話によるもので、「その昔、旅の途中の武塔神(むとうしん)が、一夜の宿を乞うたとき、これを快くお迎えした蘇民将来(そみんしょうらい)が、粟飯を炊いて、貧しいながらも精いっぱいのもてなしをした」というお話に基づいたものです。
実はこの武塔神という神さまは素戔嗚尊さまであり、後に蘇民のもとに再び現れ「『蘇民将来の子孫なり』と唱えて、茅で作った輪を腰に付ければ、厄を免れられるであろう」と告げ、その通りにした蘇民一家は、無事疫病から身を守ることができた、という物語なのですが、「茅の輪」で厄払いをする、という神事も、ここに由来があると言われています。
昨日お参りにおいでになれなかった方も、7月7日(金)ごろまでは茅の輪を設置してしております。人形代(ひとかたしろ)・車形代(くるまかたしろ)も、社務所にてお配りしておりますので、残る半年も健やかに過ごせますよう、ぜひお参りにおいでください。
なお、昨夜の賑やかな境内の様子は、また改めてブログにてご紹介する予定ですので、ぜひ楽しみにお待ちください(*´∀`*)
社務所(あ)
2 件のコメント:
蘇民将来の兄であり裕福な 巨旦将来 は武塔神の頼みを断ったってのがこの話の前段ですね。
コメントありがとうございます! 気づくのが遅くなって申し訳ありません(-_-;)
備後国風土記にある神話ですが、兄・蘇民の家を訪ねる前に、裕福な弟・巨旦の家を訪ねて断られた、という前フリがありますね。
一般的には、蘇民一家が助かり、巨旦一家もしくは蘇民以外の村人皆が滅ぼされた、というお話ですが、実は原典に当たると、蘇民の娘一人を残して、蘇民を含めた皆が滅ぼされた、と書いてあるようです。
武塔神は、なぜ自分をもてなしてくれた恩人の蘇民まで殺してしまったのか、その解釈については所説あるようですので、機会があればまたじっくり勉強してみたいと思います(*´∀`*)
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