茂木藩細川家の江戸屋敷
※茂木藩は大坂の陣以後谷田部藩茂木領となりました。その点についてもこのブログでふれさせて頂きます。
令和2年5月20日、栃木県神社庁芳賀支部の役員会で真岡大前神社へ。
大前会館は普段から会議などで使わせていただいています。
コロナウイルス対策で、長テーブル一台が一人分のスペースとして会議を行ってきました。
大前神社HPより 本殿は国の重要文化財 |
会館は一般の方の出入りは自由にはできない場所ですが、ここに江戸時代の下野国、江戸城下の古地図がありました。宮司さんに伺ったところ、骨董市で見つけて買い求めたとのこと。大前神社の宮司さんは郷土の歴史にも造詣が深く、会議や宴席でのお話しは大変勉強させて頂いています。
茂木(谷田部)藩細川家の江戸屋敷がどこにあったのかを知りたかったので、よく見てみましたが、とても見つかりそうにありません。
江戸期城下古地図 |
会議後に、スマホで検索してみると、下のような地図が出てきました。
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地図アプリで秋葉原駅近くのランドマークを調べると両国橋が見当たります。
今度は古地図で両郷橋周辺をよく見ると、ありました!!「細川ナカト」。
谷田部細川家の武家官位(「武家官位」について、ややこしいので説明は割愛)は「玄蕃守(ゲンバノカミ)」か「長門守(ナガトノカミ)」です。
というワケで、国内に何家ある細川家でも長門守は谷田部藩細川家ですので、ここが江戸屋敷になるようです。「両国橋の近くにいらっしゃったのか~」と満足しておりました。
が、さらに驚きの「気づき」が入浴中に湧きおこりました。
参勤交代の
「谷田部」「秋葉原」ラインって、
「つくばエキスプレス」の
「みどりの駅」「秋葉原駅」ライン
そのままです。
「谷田部」「秋葉原」ラインって、
「つくばエキスプレス」の
「みどりの駅」「秋葉原駅」ライン
そのままです。
茂木藩として立藩した細川家は大坂の陣で武功を上げ、常陸国谷田部も拝領しました。
参勤交代の労を考慮し、谷田部に陣屋をおいたといわれます。
茂木町民にとっては、茂木藩でいて欲しかったところで、いまでも茂木町では茂木藩細川家とか言っておりますが、一日で江戸に上れる好立地を将軍秀忠公から与えられたことは、茂木の領民にとっても大きな収穫だったに違いありません。
つくばエクスブレスでは45分の道程は、当時、馬で半日程度でしょうか。例えば熊本藩細川家から比べたら、一瞬に思える位の距離ですね。
秀忠公がいかに興元公の働きぶりを認めていたかを物語るのが、谷田部藩拝領でありましょう。
宮司