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熊本との関係

熊本地震復興への義捐金を募るにあたり、熊本城をモチーフに御朱印を作りました。そこで、茂木町・八雲神社と熊本とのつながりを整理してみました。  義捐金へのご協力をよろしくお願いします。  江戸期の茂木は細川家の領地でした 茂木は江戸時代、細川家が治める領地でありました。それ以前は、...

2026年9月21日月曜日

熊本との関係

熊本地震復興への義捐金を募るにあたり、熊本城をモチーフに御朱印を作りました。そこで、茂木町・八雲神社と熊本とのつながりを整理してみました。 義捐金へのご協力をよろしくお願いします。

 江戸期の茂木は細川家の領地でした

茂木は江戸時代、細川家が治める領地でありました。それ以前は、鎌倉時代の始まる頃に入部した八田氏が支配し、のちに姓を茂木氏と改めて関ヶ原の合戦まで続きます。史跡である茂木町の城山公園の地には城郭が築かれていました。その後、須田氏が入部し、1610年に細川興元公が領主として茂木に入ります。


江戸期 茂木の領主・細川家

茂木町のうち、茂木地区・中川地区が細川家の領地で、須藤地区は那須、逆川地区は宇都宮に所縁の深い領地でした。

茂木細川家藩祖・細川興元

初代の細川興元公は、京都で活躍した細川藤孝の次男であり、細川忠興の実弟、熊本城に入った細川忠利の叔父に当たります。戦国時代、父・藤孝は足利将軍に仕え、その後は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えました。言い換えれば、時代を上手にわたり歩く、信頼も厚い武将でした。実子の忠興・興元兄弟も武勇に秀で、国内や朝鮮での戦いで活躍しました。

忠興・興元兄弟は関ヶ原の戦いの功績により、1602年に豊前小倉の領主として入部し、7年の歳月をかけて小倉城(現存する小倉城)を築城しました。興元は忠興との仲違いを理由に出奔し、関西で過ごします。

徳川家康・秀忠は、覚え目出度い興元に忠興との和睦を命じ、1610年に茂木へ入部させ、新たに茂木細川家が立藩することになります。1616年には現在のつくば市谷田部も加増され、江戸に近い谷田部が本拠地となり、茂木は谷田部藩茂木領となります。

細川興元は神となる

細川興元が1619年に亡くなると、領民はその偉功を偲び、現在の茂木小学校南側に「大光神社」を創建しました。1944年(昭和19年)、戦時中に老朽化が著しかったため、八雲神社へ御霊を遷して合祀され、現在は八雲神社の相殿神として奉られています。

江戸時代が終わるまでの約250年間、細川家は谷田部・茂木の領地をよく治めました。その間、熊本細川家・八代松井家とのつながりも保ち、援助も多大にあったとされています。

細川家は時代の教科書には大きく載りませんが、多くの日本人が知る歴史の小話に関わる、大変興味深い家柄です。細川家を調べながら歴史の教科書を読むと、より楽しく学べることでしょう。

 


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