岩崎家文書
明治期から戦後にかけて、茂木町で神職を務めていた岩崎家より、文書をお預かりした。
内容は、さまざまな神社絡みの申請書がほとんど。土地や立木の処分や神職の就任申請など。
文書は筆字の草書や行書の混じった文書なので読みづらい・・・。
由緒書きなど、あらためて発見もある文書があったので、試しに鉛筆の手書きで書き起こした。
文書保管のためにブログに記載しようと思う。
御嶽神社由緒
特に、須田美濃守の歌
「 照りあわす 御嶽の山の夕紅葉 秋に錦を装ふ 神垣」
は氏子崇敬者にも覚えていただきたいと思う名歌ですね。
他にも、江戸・明治期の祭典の様子、明治の神仏分離令発布の前は「覚正院」により奉仕されていたことなどが記されています。
大光神社由緒
寛永(1624年から1644年)年中創立。文政(1818年から1831年)に至り、文政11年(1829年)6月24日附で「大光霊神宗源神宜を得て・・・、8月吉日を以て正遷宮をなし、同12年9月吉日神殿拝殿新造立をなし今に及ぶ。
とあり、没後数年で御霊を祀る「宮」が創立し、その約200年を経て、現茂木小学校の南の場所に大光神社の社殿・拝殿が建てられたことが記されています。現在、伝聞した創始の歴史に新しい情報が加わりました。
0 件のコメント:
コメントを投稿